強い決意の遠出、疲れを潤す聖水の記憶

夏休みをとる ー 強い決意があった。

四半期に一度の業績会議の準備に追われ、早出残業でデータとにらめっこし続けるクーラー漬けの日々。夏の日差しや不意の突風を感じる隙もなく夏が過ぎていっていることだけはわかった。

数字と通じ、高揚が生まれ、仮説通りの結果が出て奥歯を噛み締めガッツポーズをする瞬間があれど、それは夏の代わりにはならない。駅に着くだけで汗もかくし、暑いだけでイライラしそうになるし、容赦ない日差しがカラメルの肌へと手招きしてくる夏。打ちのめされながらも、それでも、前向きに夏をかわすのと、追い立てられて夏を失うのとでは、まるでちがう。

だから、コンクリートに太陽を遮断をされ、32℃のゆらめきをガラス越しで知り、数字の海で溺れかけているまま、ただ頭の斜め上の方で夏が終わりゆく気配を感じながらみすみす見送るのは嫌だった。

どの夏も、一度限り。夏に対しては、誰もが甲子園を望む高校球児なのだ。

ちがう景色が見たかった。

遮るビルのない空、水平線まで無限に続く海、縦横無尽の風、潮の香り、丸い夕日。

閉じ込められたビルの一角から垣間見える景色とは、真逆の世界。

そして、口の中で跳ねる魚や野菜、とろける温泉。窓全開の海岸線ドライブに、車ごと浮かぶ海峡横断。

オフィスと家との往復にはない躍動、今日の延長ではない24時間、を求めていた。

海、温泉、新鮮な魚、観光のためのなんとかパークではなくその土地の歴史がつくった建物や景観があり、山あり海ありの移動ができる場所、求む。そんな天国はあるのかしらと考えて思い当たったのが、熊本・長崎だった。

熊本も長崎も、初めて訪れた時に猛烈に惹かれ、どちらも住みたいと思ったことすらある場所。

数年間で両県とも2-3回訪れているゆえの、「また行っちゃう?好きすぎでは?」と「いやいやあの魅力には抗えないでしょう」との押し問答を経て、結局は「こんなに働いているんだから好きな場所に行かないと」というシンプルな結論に至る。

そうして「好きな場所の、未知に出会う」がテーマになった。

どんな未知があるかを調べ始めたところで、前から気になっていたホテルがあることを思い出した。

そのホテルは『天空の船』。

ロケーションやコンセプトが素敵で、行きたいホテルリストに長らく鎮座していた。目の前が海、という佇まいにめっぽう弱い。

海を望む露天風呂付き客室、食事は天草はじめ地産地消重視のイタリアンで、自然に囲まれながら旅館とホテルの良いとこどりな滞在ができる点が気になっていた理由であった。

天草、海と教会の町。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されたエリアの一部で、自然と歴史ある天然の異国情緒とが繰り広げられる場所。日本にも、そうない。

自然とその土地ならではの特徴ある歴史とが共存している場所に目がない(ヨーロッパが好きな理由でもある)身としては、天草はまさに象徴的である。

天草からどんなルートを辿れるか、地図を眺めてみた。

天草だけに浸るのも魅力的に思えたけれど、ほかに泊まりたいホテルが浮かばずにいた時、対岸に浮かぶ「雲仙」の文字が目に入る。

海を、渡る。その響きには抗えない。

ベネチア空港からサン・マルコ広場へ向かう船、ドブロヴニクからバーリへの夜行フェリー、ストックホルムからタリンへのクルーズ、マルタ島からコミノ島へのジャンピングボート、シミラン諸島クルーズ、マンハッタンからのNYCフェリー、お台場から浅草への水上バス。

海(もしくは川)に浮かび波に揺られることが無条件に好きで、その選択肢があると選ばずにはいられない。

天草と雲仙とは地図上でわずか数cm。

そして青い点線が見える……!(青い点線は航路)

「これはもしや!?!?」と瞬時にテンションが上がり、調べてみるとビンゴ。フェリーが運航していることがわかった。

こうなれば行き先は必然的に決定である。(これだから地図を見るのはやめられない。ドヴロブニクからバーリ、ストックホルムからタリン、タンジェからアルヘシラスなど、地図の破線が何度旅路を切り開いてきたことか!)

雲仙といえば、長らく『雲仙観光ホテル』が気になるリストに入っていた。だがしかし、夏の名残りを味わえるその時期にはすでに満室。

源泉かけ流しで、露天風呂のある客室を有する旅館を探して見つけたのが『山照別邸』。旅館『雲仙 福田屋』の新館で、全7室の離れだという。にごり湯という4文字が、心を踊らせる。

そうして天草へと飛び立った。

前日はたまたま半期に一度のオフィシャルな飲み会(オフィシャル?)で、暑さにやられビールをあおりうっかり終電を逃し、ラーメンまで食べ、帰宅したのは夜中の3時。パッキングもしていないのに、メイクを落としてシャワーを浴びるところで力尽き、横になったと思ったらもう6時。2日酔いなんて人生で片手におさまるほどしかしてこなかったのに、まさかの天草がアルコールへの恨みで幕を明けることに。

高度が何千メートルになっても上空でもなお打ち寄せてくる強靭なアルコール。天草に着いてレンタカーに乗ってもその威力はとどまることをしらず、ぐるぐるしたままホテルにチェックイン。

その日は見事な快晴で、それなのにあまりの気持ち悪さに天を仰ぐことしかできず、どうせ空を見るなら湯につかりながらにしようと、温泉が出る蛇口をひねった。

今ではすっかり温泉のとりこだが、温泉の良さに気づいたのは社会人になってだいぶ経ってから。

休みが3日間もあればすかさず海外に飛んできたし、仕事の疲れはパーっと発散して解消してきたゆえ、20代の頃は温泉がそもそも選択肢に挙がらなかった。

がしかし、社会人生活が長くなり、頭が常にフル稼働で責任とプレッシャーが大きくなった頃から、温泉に入るひとときが脳をゆるめられるささやかな時間に。

でもいかんせん、まだまだ温泉初心者。温泉に癒されていたのは軒並み冬であると気づかす、あのゆるまりを夏に実行してしまったのが、誤りであった。

夏の天草、さんさんと照る太陽、気温34℃。

この条件で温泉に入るとどうなるか、冷静に考えればわかる。暑い。温泉に浸かる前から、ゆでだこでる。

でも脳内には”温泉=リラックス”という方程式しか存在していなかったがために、季節をすっとばして激務の合間のリラックスに温泉を組み込んでしまった。暑い。

外気温34℃の炎天下に入る、源泉かけ流し40℃の露天風呂。笑うしかない、セルフ我慢大会。

夏の温泉は癒しではなく耐久レースだと初めて知ったけれど、ビールを飲みながら空と海を眺める時間はオフィスにはぜったいにない(暑いけど)。

『天空の船』は全室露天風呂付き。

テラスには露天風呂と寝転べるリクライニングチェアがあって、目の前には海しかない。文字通り、海のみ。オーシャンビューというか水平線ビュー。緑があふれる島と、海と、空。

オフィスは、海はもちろんのこと、太陽も風も空もその存在がないものかのように遮断されている。無機質すぎる。

一方、はるばる本島を飛行して海を超えて来たこの地には、オフィスにあるけどなくてよいもの ー ため息、平謝り、生気のない顔、こもった空気、冷房による凍え、枯れかかった植物 ー がひとつもない。

そしてこの日は、年に数回見られるか見られないかレベルの圧巻のサンセット劇場だった。

西に面したテラスには、1分ごとに海に近づく太陽と、シアン・マゼンタ・イエローの色の3原則がつくるカラーチャートを隅から隅まで満たす180度の空と、青から金まで1秒たりとも同じ顔を見せない海と、肌をわずかになでる風とが一堂に介していて、シティ派閥に属する都会派民も圧倒的に心奪われる。

旅先では日の入り時刻の前後各30分は、夕焼けや夜景予備軍のシティスケープを眺めるのがお気に入り。

この日は、長く入っていられない露天風呂を横目に、迎え酒をしながらゆうに2時間ほど、目の前の自然ショーにただひたすら真剣に没頭していた。

こういう時間でしか、頭の中のあれこれをポーズできない。

強制的に脳内多動を抑えてくれる、稀少な存在のひとつ、それが夕焼け。

目を離したらまるでちがう色になってしまう空から視線をうつすべき場所も理由も、ほかになかった。

このホテルを選んで泊まりに来た人たちは、思い思いの服をまとい、軽やかですっきりと、地面から3cm浮いているようなほがらかさを発していた。

意志で足を運ぶ人たちの、なんと健やかでほほえましいことか。

だからホテルは、聖水のようだといつも思う。

都心でも自然のなかでも、山でも海でも、人は癒しと休息を求め、自らの意志でそこに向かう。引き寄せられる。行かねばならぬ、と渇望を覚えさえ、する。

期待や希望に包まれている人に、負のオーラを出している人はいなくて、だからホテルのロビーは澄んでいる。

『天空の船』の思い出は、そのロケーションが成せる圧倒的な夕焼け(と夏の温泉のほろ苦さ)だった。

イタリアンのディナーや、ハーフブッフェの朝食も、地場の食材が豊富で、上品で、スタイリッシュで、ホテルの持つ雰囲気にとてもフィットしていた。

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2日目、今日は世界遺産に登録されたキリシタン関連遺産を訪ねて、天草の下島を時計回りに進む。

地元の人が行き交う姿すらない、人の気配すらない路地を歩いていると、見慣れた日本家屋のなかに突然ゴシック様式の崎津教会が現れる。

海沿いの崎津集落は、見たかった景色そのものだった。

はるか昔から人が営みを続けてきたその小さな町は、海に面しているがゆえに図らずも歴史の舞台となった町。

天主堂は、踏み絵が行われた場所。450年も前からずっと同じ場所に同じ姿で存在し続けていると考えると、教科書のなかのお話は初めてノンフィクションへと形を変えた。

そしてカーフェリーで島原半島へ。

車で港に乗りつけることがまずたまらない。

だってそこは海なのに。

車に乗ったまま港で乗船を待つ時間は個室で優雅だし(寝ても食べても音楽を爆音でかけてもよい!)、車ごと船に進入していく瞬間はなぜかスリル満点。

前向き駐車ですっと指定位置に停める瞬間は、なぞの達成感。

停めた車から降りて甲板に上がっていくと海が広がるその瞬間の、開放感。

乗る停める降りる上がるのひとつひとつの行程が、日常にはない、人生で数えるほどの体験となる。

海の上は例のごとく風が強く、甲板に出ているのは私たちだけだった。

でも潮風を、360°全身で浴びられる機会なんてそうない。

風で髪がぐちゃぐちゃになるのも、ワンピースが羽ばたくのも厭わずに、30分の船旅をかもめのようにたゆたいながら過ごした。

雲仙は、山を切り開いた国立公園内にある温泉地。

港からは、高地へとぐんぐん登っていく。

森の中を切り裂いていくと、窓から入り込む空気がどんどん変わっていくのがわかる。

車を進めるごとに1℃、また1℃と気温が下がり、高地特有のひんやりとしたさわやかな風がひたひたと車内を通り抜けていく。

湿気をはらんだ潮風とはうってかわって、すっきりと冷えた軽やかな風だった。

海派であっても、緑が醸成し濾過する山の清々しさにはくらっとしてしまう。

数百メートルをゆるやかに登っていくうちに、仕事の疲れは下界に置いてくるようだった。空気とともに、からだが軽くなる。

そして到着した雲仙は、高地ゆえのしゃっきりした空気に満ちていた。通された部屋の露天風呂も白濁の源泉かけ流し温泉だったことにテンションが上がり、早速どぼん。(冷蔵庫にはサービスのハーゲンダッツが入っていた!)

8月末の夕べでも25℃前後と涼しく、天草とは打って変わって温泉甲斐がある。

『山照別邸』は全室露天風呂付きながら、新館宿泊者専用の展望風呂に、『雲仙福田屋』の大浴場も利用できる。

木造の縁が額縁となり、白濁の湯の先にある緑を望む内湯は、しみじみと確実に凝りをほぐしていく。

涼しい高地で入る夏の温泉は、格別。夏の温泉はかくあるべし、と学習した瞬間でもあった。

目の前には空と緑。しんとした静寂のなかで湯に包まれる時間の幸福たるや。

そしてこの宿は、食事がとてもおいしかった。牛肉に魚介、地鶏にその卵など、九州の味覚がエレクトリカルパレードのごとく次から次へと卓上へ訪れる。忘れられない旅館の食事で上位に鎮座している、数年経った今でも。

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3日目、チェックアウトをしたら、雲仙から熊本へとまたカーフェリーで渡る。3日間で2回も海の旅路を行けるなんて、このルートを思いついた時は天才的だと思った。

窓からひたすらに空と青との溶け合うラインを眺め、温泉以上にデジタルデトックスをできる時間。

そして熊本ラーメンを食べて、空港へ向かったのであった。

数字を離れ、タフなロールに向き合った自分の真摯さを称え、次の四半期へと頭と心を切り替える時間として、天草&雲仙は最高の組み合わせだった。

海と山、夕焼けと冷気、単純泉と白濁湯、海鮮と肉。風呂好きには、温泉露天風呂付き客室は最高の湿布。

摂取すれば生き返る、聖なる水を巡る旅、極限まで消耗してスポンジ化した脳の疲労にぐんぐん染みたのであった。

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