26歳の秋、10月。「航空券が29,800円だから行かない?」と友人を誘い、初めて降り立ったニューヨーク。11時間もかけて行くのに3泊5日という若さあふれる日程で、飛行機の中では友人といっせーのせでタイミングを合わせ『トイストーリー』を再生した。
なぜニューヨークだったのかというと、「航空券が見たことのない破格値だったから」という安直な理由だった。タイムズスクエアは見てみたいし、自由の女神も見てみたいし、一度は行っておきたいよね。そんなノリだった。
チェルシーの安いゲストハウスに荷物を置き、まずはミッドタウンへ。タイムズスクエアは、タイムズスクエアだった。大晦日のカウントダウンを映すあのテレビの光景が、そっくりそのまま目の前に広がる。MoMAではアンディー・ウォーホールがだだだっと並んでいたなかで、日本の作品もパーマネントコレクションでたくさん展示されていて、ああもっと日本をまず知らないと、と思った。セントラルパークはほのかに紅葉し、近くのステーキハウスでは想像を超える大きさのステーキと高さ10cmはあろうかというオニオンリングタワーにはしゃいだ。
当時はアジア未上陸だったヴィクトリアズ・シークレットで、ボディクリームや下着を買い込んだ。レジの店員に「ここに連絡先書いて」とレシートを渡された。SATCのキャリーが住むグリニッチ・ヴィレッジでキャリーの家を見上げ、マグノリア・ベーカリーで顔ぐらい大きいパステルカラーのカップケーキを買って、ハドソン川を眺めながらほおばった。
マーク・ジェイコブスが手掛ける本屋『BOOKMARC』で文房具にトートバッグにときめき、映画『ユー・ガット・メール』に出てくるカフェ『Cafe Lalo』では夜更かしを。『アンソロポロジー』や『マリベル』や『クレートバレル』で、日本にはないねえとキャッキャする。トレーダージョーズでは、頼まれたスパイスを10種類近くカゴに放った。
ニューヨーカーごっこ、はかどる。
ニューヨークの朝といえば、ベーグル。具は何にする?トーストする?と店員は気さくに聞いてくる。ニューヨーカーは冷たいと聞いたことがあったけれど、当時リスニングがさほどできなかったにもかかわらず辛抱強くやりとりをしてくれた。「具はサーモンとクリームチーズ、トーストをお願い」などと答えていると、トマトは入れていいかと聞くのと同じトーンで「Do you live in New York?」と聞かれた。唐突に、でも自然に。
ニューヨークは建物も人も景色もショップも魔力が強く、街から目を離すことができない。メトロにはほとんど乗らず、碁盤の目になっている街を文字通り縦横無尽に歩きまわった。フラットアイアンビルに突然出くわしたり、街角で『グリニッチレタープレス』が目にとびこんできたり、 ひと時もときめきがおさまる隙がない。
ひたすらに歩いていると、お腹もすく。人が集まっているフードトラックが目につき、これもまたニューヨーカーっぽいねと言いながら最後尾についた。「ホットドッグ(だったかは忘れた)1つお願いします」「OK、4.99ドル(だったかは忘れた)ね」「ところで君はニューヨークに住んでるの?」とまたも聞かれる。
夜に備えてドレスアップのためにゲストハウスに戻る前に、コンビニのような小さなショップに入る。水やコーラをレジに持って行くと、値段をレジに打ち込みながら「君はニューヨークに住んでるの?」とまたしても同じ問い。
毎回「住んでないよ」「ううん、遊びに来ただけだよ」「昨日来て明後日には帰るんだ」と答えるのだけれど、こんなにも聞かれ続けると、「あ、そうなんだ、住みたいなら住んでいいんだ。住んでいる人は選ばれた人だと思っていたけどそういうわけではないんだ、住みたくて住んでいる人が多いんだ。」と思えてきた。
道を歩けば「素敵なドレスね!」、地下鉄に乗れば「そのバッグ、素敵ね」、ショップでは「ニューヨークに住んでる?」。
こんなにも話しかけられる街だなんて、知らなかった。ニューヨークは、会話が多い。
訪れる前は「ニューヨークは人が冷たいからねえ」とエールを送ってくれる(?)人もいた。ブロードウェイや美術館を勧める人もいた。でも、こんなにも偶発的な会話にあふれる街だとは。
秋のニューヨークは、青い空と赤や黄に色づく葉、なにげないのに1日を照らす言葉に満ちていた。
住んでみればいいじゃない、そんな気軽な手招きが、何年経っても残っている。手痛い失恋をした時は「40歳になった時に独身だったら、ニューヨークに住んでみよう」とふと思い、時薬を待てないなかで小さな未来の灯となってくれた。ニューヨークがあるからだいじょうぶ、そう思えた。
それだけで、ニューヨークは充分に魔法をかけてくれたのだった。