疲れてるから無計画に旅したい

旅の準備は延々続く問題

どこか行きたいと思い立った時から旅の楽しい時間が始まる、はずが、旅したいなーぐらいのほんの出来心からリサーチの渦に飲み込まれた経験はありませんか?

「どこ行こう?」と候補の街を思い浮かべた瞬間から、アクセス、何日滞在できるか、負担のないフライトスケジュール、最も効率よくコスパよく行く方法などを比較し、リサーチの鬼と化しがち。行き先と手段を決める頃にはぐったり。毎回この準備は、楽しくもどっと疲れる作業でもあります。

そして出発が迫る時期にはリサーチ第2波、「旅先で何をするか」問題です。行きたいスポットを挙げたり、効率のよいルートを考えたり、スケジュール感の当たりをつけたりと、再び探索の海に溺れがち。

好きで旅に出るのに毎回修行のような心境を味わっています……。リサーチは義務でもないし、思いつくままに予約できる度胸があればわざわざ情報の荒波に自ら飛び込む必要はないんですけどね……。

残念ながら旅では時間と予算に限りがあり、加えてフィットする体験を求めるうえでリサーチが身を助くるという実感があるのと、非効率やしなくていい支出がもたらす後悔の方がずっとつらいのとで、自らを追い込む性分です。

やっとの思いで現地滞在の大枠を決めたら最後、解放されるかと思いきや、第3波が待ち受けています。

それが現地でのリサーチ。いざ大聖堂や水上マーケットに行くと決めても、実際にたどりつくまでには営業時間を調べたりクチコミを確認したりGoogle Mapとにらめっこしたりが待っています。

あれ、何のためだっけ…?

行き先を考えたり、到着した時に達成感があったり、そういうのもたしかに楽しい。

でも、ふと思うんです。地図をなぞる作業になってない?これってスタンプラリーじゃない?本当は財布ひとつでふらっと歩いている時にかわいいお店が目に入ったり、パンが焼けるいい香りにつられたり、そういうことが醍醐味じゃなかったっけ、と。

旅先でも“正解”を求めて最短ルートを攻略しようとしていることに気がついてハッとしたのも一度や二度ではありません。いろいろ解放されたくて旅に出るのに、自ら縛られに行っているではないか、と愕然とすることもしばしば。

だから意識してOFFになる

だから旅先では、意識して地図を見ないで気の向くままに街を歩いてみよう、とそのために時間をつくることがあります。候補を挙げてルートを描いて無駄なく動く、って普段仕事でやっていることそのものなのですが、そういう取捨選択は大小にかかわらずエネルギーを使います。

そういう日常での疲れからリリースされ(そしてその空いたスペースでインスピレーションを受けたものとか普段じっくり考える時間をとりづらいこれからのこととかを考えたい)から日常を離れているのに、ついつい効率第一に考えてしまう癖がしみついてしまっているんですよね……。

そこで、せめて最後のGoogle Mapとのにらめっこが不要な土地はないものかと、経験をもとに振り返ってみました。今まで訪れたなかで、効率を無視しても楽しい、もしくは効率が通用しない街(!)を思い出してリストアップ。名づけて、地図なしが楽しい街、です。

ベネチア:車が通れない水路の街

車が入って来られず、何百もの橋がかかっている海に浮かぶ島。

最初はホテルでもらった地図(細かい路地や橋も全部書いてある)を見ながら歩いていたのですが、ベネチアは路地という路地が本当にため息ものの美しさなんです。

先が細くなっていて「通れるのかな?」と思いながら進んでみたり、「この壁の先が気になる…」と思いながら歩いたら運河に突き当たったり、地図を見ながらもそういう誘惑にかられて地図通り予定通りには進まないねってなった瞬間に、地図を見ない方が楽しいんじゃない?と気づきました。

「リアルト橋→」「XX広場→」のような場所と矢印だけのプレートが結構あったりして、それをたどって行くのが宝探し感覚で楽しいです。

サントリーニ島:真っ白な壁が続く立体的迷路

真っ白な島。白い壁という壁が並んでいて、まぶしすぎて目を開けられませんでした。それぐらい白が強烈。

リゾートホテルが多く建つイアに泊まったのですが、階段を昇り一本道かと思いきや途中で道が分かれたり階段が出現したりと冒険心がくすぐられます。

「この階段を降りたら行き止まりかな?行き止まりでもいっか、戻ってくればいいんだもんね。」と思える場所。

深い青をたたえるエーゲ海を横目に見ながらの白い街探索は、日差しとまぶしさと暑さとの戦いではあるものの地図通りに歩くことが無粋に思える魔力があります。

ストックホルム:キキの暮らした街風味

ストックホルム全体はデザインが洗練されていて、インテリアやカフェやショップなどどれをとっても全体からディテールまでがスタイリッシュでモダンで生活しやすいデザイン性を感じる都市。

それでも旧市街がきちんと残っていて、旧市街は街がもつそのデザイン性とは良い意味で反対にアナログ感というかノスタルジックな味わいが残っています。

きっと女子なら一度は通ったであろう「魔女の宅急便」のモデルになったといわれる街はドブロブニク、ナポリ、メルボルンなどいくつかあるのですが、ストックホルムもそのひとつ。ドブロブニクやナポリでも「魔女の宅急便っぽい」と感じましたが、一見際立った特徴がなさそうなストックホルムでも感じました。

オレンジ色の屋根とか路地にはためく洗濯物とかそういう象徴的な風景があるわけではないはずなのに、知らない街に降り立ったキキがあてもなく歩いてみるように、本能的に惹かれる方向に気の向くままに進んでみたくなる郷愁がある街です。

リスボン:パステルカラーに包まれて

リスボン旧市街は一見、路地が碁盤の目のように並んでいるように地図上では見えます。

それは正解だけど正解ではありません。地図を鵜呑みにすると痛い目に遭う、その実とんでもない街です。

地図と現実とがここまで違う顔を見せる街No.1だと思う…なぜなら坂の街といわれる通り、アップダウンが激しい。激しすぎるのです。20代でも30代でも足腰に来るほど。登山でしたっけ?と聞きたくなります

だけど坂を上った先にとんでもない見晴らしが待っていたり、下った先に海が広がったりと、意表を突くその具合が突き抜けすぎていてどんな坂でもその誘惑に勝てないんです。

ドブロヴニク:紺碧と赤茶の世界遺産街

「こんな街がこの世に存在するんだ…」とただただ上空からの街を見下ろす景色に呆然とし、数時間目が話せなかった街。

『魔女の宅急便』のような街がこの世界に実在していると知った時からいつかぜったいに訪れたくて、2週間ヨーロッパへ行けることになった瞬間に真っ先に候補に挙げました。

旧市街をあてどもなくふらふらするのがよいです。大理石のような道はピカピカ光ってつるつるで、内戦で破壊されてしまった街が住人の意志と情熱で以前と同じように再建されたことに「よくぞここまで…」という気持ちになったり。

ビーチは石まじりで裸足で歩くには痛いし初夏でも水温は低いのだけど、それでも透明~エメラルドグリーン~紺碧へと変化する特異なグラデーションはその境目をいつまででも眺めていたくなったり。

とにかくファンタジーを感じる街。城壁に囲まれている旧市街は小さなエリアで、地図がなくても地図を見ないでも気づけば大通りに戻ってしまうし迷っても大きな広場を目指せる配置だから安心して迷い込めます。

マラケシュ:右も左もピンク1色のおとぎの世界

ここは難関すぎます。一生ここから出られなかったらどうしよう、と本気で泣きそうになった場所。世界最大のスーク(市場)と言われ、Google Mapでもいまだにその全貌は明らかになっていないとも。旅人泣かせです。「このまま出られなかったらどうしよう」と本気で泣きそうになったので、ひとりでスークに足を運ぶ勇気はもうありません……。天然巨大迷路。

しかも何がその恐怖を増大させるかというと、英語がほとんど通じないこと。通じるのはアラビア語かフランス語、且つおそらく地図という概念がないので、自分が今どこにいるか聞いてもそもそも意味を成さないという恐ろしさ。

そんな街、ほかにあります?

ここでしか味わえない肝試しや運試しに近いスリルがあるので、こわいもの見たさでいつか再訪したい気持ちはどこよりも強くあるのですが、次に行くならスークの路地1本1本に精通した地元ガイドについてきてもらおうと固く心に誓っています。

文明社会でこれだけの体験をリアルにできる場所はほかにないのでは?とさえ思います。

もっと迷おう

いつでも最短ルートを調べ目指すばかりでは、その移動時間は無機質になりがち。いっそのことスマホもオフにして、現実っぽさが清々しいほどにない街で迷ってみると、なんだかすごく自由になれてやみつきになります。

知らない土地での意図的な迷子、おすすめです。